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[[歴史Aランク]]
**足利義満(あしかがよしみつ) [#v233c741]
1358年〜1408年 &color(mediumblue){室町幕府の3代将軍で,南北朝を統一し,明と&ruby(かんごう){勘合};貿易を行った。}; 京都の室町に御所をかまえて政治を行い,幕府の権力を強化した。[[金閣]]をたてさせたり,[[能]]を保護したことでも知られる。
1358年〜1408年 &color(mediumblue){室町幕府の第3代将軍で,南北朝を統一し,明と&ruby(かんごう){勘合};貿易を行った。}; 京都の室町に御所をかまえて政治を行ったことから,[[室町幕府]]という名称がうまれた。有力な[[守護大名]]をほろぼす一方で,朝廷の内部にも勢力を広げて&ruby(だいじょう){太政};大臣になるなど,幕府の権力を強化した。[[金閣]]をたてさせたり,[[能]]を保護したことでも知られる。
【足利義満の肖像画】
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【足利義満】
-1368年……父の2代将軍&ruby(よしあきら){義詮};が病死したため,11歳で3代将軍になる。
-1368年……父の第2代将軍&ruby(よしあきら){義詮};が病死したため,11歳で第3代将軍になる。
-1378年……幕府を京都の三条坊門から北小路室町に移す。室町の御所は後に「花の御所」と呼ばれる。
-1378年……邸宅を京都の三条坊門から北小路室町に移し,幕府の政庁とする。この邸宅は「花の御所」とよばれた。
-1391年……有力な[[守護大名]]であった&ruby(やまなうじきよ){山名氏清};を滅ぼす。これを&ruby(めいとく){明徳};の乱という。
-1391年……有力な[[守護大名]]であった&ruby(やまなうじきよ){山名氏清};をほろぼす。これを&ruby(めいとく){明徳};の乱という。
-1392年……南北朝の統一に成功する。
--北朝と南朝の天皇を交互にたてることが統一の条件とされたが,実行されなかった(北朝が皇位を継承した)。
-1394年……将軍職を子の&ruby(よしもち){義持};にゆずる。翌年には出家するが,太政大臣の地位について政治の実権をにぎり続けた。
-1394年……将軍職を子の&ruby(よしもち){義持};にゆずるが,政治の実権をにぎり続け,太政大臣の地位につく(武家の太政大臣は[[平清盛]]に次いで2人目であった)。
-1395年……出家して道義と号する。
-1397年……京都北山に[[金閣]]を中心とする山荘を造営する。
-1399年……有力な守護大名であった大内&ruby(よしひろ){義弘};を滅ぼす。これを応永の乱という。
-1399年……有力な守護大名であった大内&ruby(よしひろ){義弘};をほろぼす。これを応永の乱という。
-1401年……[[明]]に使いを送り,翌年日本国王の地位を授けられる。
-1404年……明から勘合が届き,[[勘合貿易]]がはじまる。