歴史Dランク
律令(りつりょう)制度における兵役(へいえき)の1つで,北九州の警備にあたった。 装備や北九州までの往復の食料は防人自身が用意するものとされ,その負担は大きかった。
白村江の戦いに敗れたあと,唐(中国)の攻撃に備えるために防人が制度化された。すべての成人男子に3年間防人をつとめる義務があったが,はじめはおもに東国の農民が徴用(ちょうよう)された。大宰府(防人を指揮した)の権限が弱まるとともに,10世紀の前半頃に消滅した。