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ピューリタン革命 の変更点

Top / ピューリタン革命


[[歴史Bランク]]

**ピューリタン革命(ぴゅーりたんかくめい) [#w1ce3565]

1642年〜1649年 &color(mediumblue){イギリスで,国王と議会の対立が原因となっておこった革命。}; 議会派が勝利して国王は処刑され,イギリスは共和制の国になった(後に王政が復活している)。

ピューリタンはカルバン派のプロテスタント(新教徒)のことで,清教徒ともいう。議会派にピューリタンが多かったことから,ピューリタン革命とか清教徒革命とよばれている。

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【ピューリタン革命とイギリスの共和制】

-1603年……イギリスの女王エリザベス1世が死去し,血縁のあったスコットランド国王ジェームズ6世が,イギリス国王ジェームズ1世として即位する(イギリスとスコットランドは,同じ国王が統治する同君王国となる)。

-1625年……ジェームズ1世が死去し,子のチャールズ1世が即位する。ジェームズ1世,チャールズ1世は王権が神から授けられたとする王権神授説を唱えて議会と対立した。またピューリタンを弾圧したため,オランダやアメリカに多くのピューリタンが移住した。

-1628年……議会がチャールズ1世に「権利の請願」を提出する。議会の同意なしでは課税できないことなどを求めた。

-1629年……チャールズ1世が議会を解散し,国王の専制政治が続く。

-1639年……チャールズ1世がスコットランドにイギリスの教会制度を強制しようとしたことから戦争がはじまる。

-1640年

--4月……チャールズ1世が戦費を確保するために11年ぶりに議会を召集する。国王と議会はすぐに対立し,わずか3週間で議会は解散される(短期議会)。

--11月……スコットランドとの戦争に敗れたチャールズ1世が再び議会を召集する(長期議会)。

-1641年……チャールズ1世と議会の対立が深刻化する(この年をピューリタン革命のはじまった年とすることもある)。

-1642年……国王派と議会派の間で内戦がはじまる。議会軍の苦戦が続くなか,議会派の指導者であったクロムウェルが&ruby(てっきたい){鉄騎隊};を結成する。

-1645年……クロムウェルがニューモデル軍を結成し,ネイズビーの戦いで勝利して,国王軍を壊滅させる。

-1646年……チャールズ1世がスコットランド軍に降伏する。

-1647年……チャールズ1世がイギリス議会に引き渡される。

-1648年

--3月……チャールズ1世と議会派の間で第二次内乱がはじまる。

--11月……チャールズ1世が議会軍に降伏する。

--12月……クロムウェルが議会から王政を支持する議員などを追放する。

-1649年

--1月……議会の決定でチャールズ1世が処刑され,イギリスは共和制になる。

--8月……クロムウェルのアイルランド侵攻がはじまる。

-1650年……国外に亡命していたチャールズ1世の皇太子チャールズがスコットランドに上陸する。クロムウェルがスコットランドに侵攻し,翌年チャールズは再び亡命する。
-1650年……国外に亡命していたチャールズ1世の皇太子チャールズがスコットランドに上陸する。

-1651年……チャールズがスコットランド王に即位する。しかし,スコットランドに侵攻したクロムウェルの軍に敗れ,チャールズは再び亡命する。

-1652年……クロムウェルがアイルランドを平定する。アイルランドは実質的にイギリスの植民地となる。

-1653年……クロムウェルが&ruby(ごこくきょう){護国卿};になる。

-1658年……クロムウェルが死去する。息子が護国卿となるが,国内をまとめることができず,翌年には辞任する。

-1660年……皇太子チャールズがイギリス国王チャールズ2世になり,王政が復活する。