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モンゴル帝国 の変更点

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[[歴史Aランク]]

**モンゴル帝国(もんごるていこく) [#i1c8c6f5]

&color(mediumblue){13世紀初め,チンギス・ハンが中央アジアを征服してつくったモンゴル民族の帝国。}; [[チンギス・ハン]]の死後も子孫によって領土を広げ,中国から南ロシアやイラクにいたる大帝国に成長した。

モンゴル帝国は交通路を整備したことから,東西の交流が活発になった。

【モンゴル帝国】

モンゴル帝国は,モンゴル高原を支配する皇帝を中心として,チンギス・ハンの子孫が支配する国(ウルス)が集まる連合国家の形をとっていた。

-オゴタイ・ハン国(1225年?〜1306年)……オゴタイ(チンギス・ハンの3男で第2代皇帝)とその子孫による政権で,のちにチャガタイ・ハン国に併合されている。オゴタイの死後は政権としての実態を失っていることから,近年はオゴタイ・ハン国の存在を認めない学説も有力になっている。

-チャガタイ・ハン国(1227年〜1369年)……チャガタイ(チンギス・ハンの次男)が中央アジアに建国。14世紀に東西に分裂している。

-キプチャク・ハン国(1243年〜1502年)……バトゥ(チンギス・ハンの長男ジョチの子)が南ロシアに建国。14世紀には東西貿易の中継点として栄えた。モスクワ公国(後にロシア帝国に発展)の独立後,分裂した。近年はジョチ・ウルスとよぶことも多くなっている。
-キプチャク・ハン国(1243年〜1502年)……バトゥ(チンギス・ハンの長男ジョチの子)が南ロシアに建国し,14世紀には東西貿易の中継点として栄えた。モスクワ公国(後にロシア帝国に発展)の独立後,分裂した。近年はジョチ・ウルスとよぶことも多くなっている。

-イル・ハン国(1258年〜1411年)……フラグ(チンギス・ハンの4男トルイの子,フビライの弟)がイランを中心に建国。[[イスラム教]]を国教とし,ペルシャ・イスラム文化を発展させた。

-[[元]](1271年〜1368年)……[[フビライ・ハン]](チンギス・ハンの4男トルイの子で第5代皇帝)が建国し,1279年には[[宋]](南宋)をほろぼして中国を統一した。元は1368年に中国から追い出されてモンゴル高原にうつったが(以後は「北元」とよぶ),モンゴル帝国の皇帝位は1634年まで続いている。

【参考】

ハン(カン)はモンゴル民族の君主の称号であるが,モンゴル帝国では第2代皇帝のオゴタイ以後は皇帝の称号としてハーン(カアン)を用いている。したがって,第5代皇帝のフビライはフビライ・ハーンと表記する方が正しいが,中学校の教科書では称号の区別を行わず,フビライ・ハンと表記している。