一向一揆 の変更点
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[[歴史Bランク]] **一向一揆(いっこういっき) [#wc0f258b] &color(mediumblue){15世紀後半から16世紀末にかけて,&ruby(じょうどしんしゅう){浄土真宗};(一向宗)の信仰で結びついた武士や農民がおこした一揆のこと。}; [[浄土真宗]]([[一向宗]])は15世紀に[[親鸞]]の血筋である&ruby(れんにょ){蓮如};の活動によって急速に信者を増やしたが,各地でその信者が中心となって一向一揆をおこすことになった。 -[[加賀の一向一揆]]……加賀国(石川県)では一向一揆が[[守護大名]]の争いに介入するようになり,1488年には対立する守護大名をほろぼし,約100年にわたって自治を行った。[[織田信長]]の攻撃を受けて解体している。 -三河の一向一揆……西三河(愛知県中部)で1563年におこった一向一揆。[[徳川家康]]は半年間におよぶ戦いで一揆を解体し,[[戦国大名]]として地位を確立した。 -石山合戦……石山本願寺(大阪府)は1533年に浄土真宗の本山となり,一向一揆の根拠地として戦国大名のような力をふるった。京都に進出した織田信長と対立し,1570年から10年間にわたって戦ったが,1580年に降伏している。(石山本願寺は降伏の直後に焼失し,その跡地に[[豊臣秀吉]]が大阪城を築いている。) --長島の一向一揆……石山合戦に合わせて長島(三重県桑名市)でおこった一揆。織田信長は3回にわたって侵攻し,皆殺しに近い形で一揆をほろぼしている(一揆との戦いは激しいもので,信長の兄や弟など親族も戦死している)。 --長島の一向一揆……石山合戦に合わせて長島(三重県桑名市)でおこった一揆。織田信長は3回にわたって侵攻し,皆殺しに近い形で一揆をほろぼしている(一揆との戦いは激しいもので,信長の兄や弟,叔父なども戦死している)。