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[[歴史Bランク]] **原敬(はらたかし) [#meb1852b] 1856年〜1921年 &color(mediumblue){明治・大正時代の政治家で,日本で初めての本格的な政党内閣を組織した。}; ---- 【原敬】 盛岡藩(岩手県)の出身で,外務省や新聞社で働いた(新聞社の社長であった時期もあるう)。 盛岡藩(岩手県)の出身で,外務省や新聞社で働いた(新聞社の社長であった時期もある)。 -1900年……立憲政友会の創立に参加し,[[伊藤博文]]内閣で初めて大臣になる。 -1902年……衆議院議員に当選する(亡くなるまで,衆議院議員をつとめた)。 -1914年……立憲政友会の総裁になる。 -1918年……[[米騒動]]で内閣が倒れると,後任の内閣総理大臣となり,陸軍・海軍・外務以外の大臣がすべて立憲政友会の党員という,初めての本格的な[[政党内閣]]を組織する。 --陸軍大臣・海軍大臣……当時の規定では,陸軍・海軍の軍人だけが大臣になることができた。 --外務大臣……外務省出身の外交官が外務大臣になることが慣例になっていた。 -1921年……東京駅で暗殺される。(原を悪人と考えた個人による単独犯行とされている。) &ruby(しゃくい){爵位};(貴族の称号)を持たないことから「平民&ruby(さいしょう){宰相};」として人気を集めたが,普通選挙の導入には消極的だった。