大久保利通 の変更点
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[[歴史Aランク]] **大久保利通(おおくぼとしみち) [#s0b1a5cf] 1830年〜1878年 &color(mediumblue){江戸時代末期・明治時代初期の政治家。}; [[西郷隆盛]]とともに薩摩藩の倒幕運動の中心として活躍した。明治政府では参議になり,[[版籍奉還]]や[[廃藩置県]]など中央集権体制の確立に努力した。 [[岩倉使節団]]から帰国後は内務卿として政府の中心的な存在になり(「大久保政権」ともよばれる),士族の反乱をおさえるとともに,[[殖産興業]]に力を入れた。 ---- 【大久保利通】 薩摩藩出身で,西郷隆盛とは少年時代からの友人である。薩摩藩の最高権力者であった島津&ruby(ひさみつ){久光};(藩主の父)に仕え,久光の公武合体政策が行きづまると,西郷らと協力して倒幕運動を進めた。 -1867年……西郷や[[岩倉具視]]らと王政復古のクーデターを断行する。 -1869年……明治政府の参議となり,中央集権体制の確立に努力する。(参議は複数任命されたが,実質的な政府の指導者にあたる役職である。) -1869年……明治政府の参議となり,中央集権体制の確立に努力する。 --参議……1869年の太政官制とともに設置された役職で,政府の実質的な指導者となった(複数制の首相にあたる)。1885年に[[内閣制度]]が創設されると,参議は廃止された。 -1871年……[[岩倉使節団]]の副使としてアメリカやヨーロッパを訪問する。 -1873年……帰国すると西郷隆盛らの[[征韓論]]に反対する。西郷らが政府を去ると,内務省を設置して初代内務卿となり,政府の中心的な存在となる。 -1874年……佐賀の乱がおこると,自ら兵を率いて九州に入り,&ruby(ちんあつ){鎮圧};する。[[清]](中国)に渡り,台湾出兵の戦後処理を行う。 -1877年……西郷らが[[西南戦争]]をおこすと,政府軍を派遣して鎮圧させる。 -1878年……&ruby(きおいざか){紀尾井坂};(東京)で政府に不満を持つ士族におそわれて暗殺される。