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徳川家康 の変更点

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[[歴史Aランク]]

**徳川家康(とくがわいえやす) [#f79299d4]

1543年〜1616年 &color(mediumblue){江戸幕府の初代将軍。}; &ruby(みかわ){三河};(愛知県東部)の松平氏に生まれる。[[織田信長]]と同盟を結んで勢力を拡大し,信長の死後は[[豊臣秀吉]]の全国統一に協力した。[[関ヶ原の戦い]]の勝利によって全国を支配する実権をにぎり,[[征夷大将軍]]となって江戸に幕府を開いた。

【徳川家康の肖像画】

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【徳川家康】 

-1535年……岡崎城(岡崎市)を拠点に三河を統一した&ruby(まつだいらきよやす){松平清康};(家康の祖父)が,&ruby(おわり){尾張};(愛知県西部)を支配する織田氏を攻めるが,陣中で家臣に暗殺される。子の&ruby(ひろただ){広忠};(家康の父)があとをつぐが,親族に岡崎城をうばわれる。
-1535年……岡崎城(岡崎市)を拠点に三河で勢力を強めた&ruby(まつだいらきよやす){松平清康};(家康の祖父)が,&ruby(おわり){尾張};(愛知県西部)を支配する織田氏を攻めるが,陣中で家臣に暗殺される。子の&ruby(ひろただ){広忠};(家康の父)があとをつぐが,親族に岡崎城をうばわれる。

-1540年……&ruby(するが){駿河};(静岡県中部)・&ruby(とおとうみ){遠江};(静岡県西部)を支配する今川&ruby(よしもと){義元};の助けを得て,広忠が岡崎城に復帰する。

-1543年……広忠の子として岡崎城(岡崎市)に生まれる。幼名は&ruby(たけちよ){竹千代};。

-1547年……今川氏に人質として送られるが,途中でさらわれて,織田氏に引き渡される。(織田氏の捕虜になっている間に,織田信長に初めて出会ったともいう。)

-1549年……父の広忠が死ぬ(死因については,病死説や暗殺説がある)。捕虜交換によって竹千代は今川氏に引き渡されるが.今川氏の本拠である&ruby(すんぷ){駿府};(静岡市)に住まわされ,岡崎城は今川氏が派遣する城代が支配した。

-1555年……元服(成人)して,松平&ruby(もとのぶ){元信};と名のる。後に,松平&ruby(もとやす){元康};に改名する。

-1560年……今川氏の武将として織田氏攻撃に参加する。今川義元が&ruby(おけはざま){桶狭間};の戦いで織田信長に討たれたのを機会に岡崎城に入り,自立の動きを強める。

-1562年……信長と同盟を結ぶ。この同盟は信長が死ぬまで続いた。 

-1563年……義元から授けられた「元」の字を捨てて,家康と改名する。 

-1566年……三河の[[一向一揆]]をしずめて,三河を統一する。名字を松平から徳川に改める。 

--源氏の一門である得川(えがわ/とくがわ)氏の子孫であるとして徳川に改称した。なお,これは家康個人の改称であって,一族は引き続き松平を名のった。家康の子でも4人しか徳川を名のることは認められていない。

-1569年……今川氏から遠江を奪い,翌年浜松城を築いて拠点とする。

-1570年……信長を助けて姉川の戦いで朝倉・浅井連合軍を破る。 

-1572年……武田&ruby(しんげん){信玄};と&ruby(みかたがはら){三方ヶ原};で戦って敗れる。

--&ruby(かい){甲斐};(山梨県)の戦国大名であった武田信玄は,今川氏から駿河を奪い,さらに遠江・三河に侵攻してきた。三方ヶ原の戦いの後も信玄は三河侵攻を続けたが,途中で病死して武田軍は撤退している。 

-1575年……信長の援軍を得て,武田&ruby(かつより){勝頼};(信玄の子)を&ruby(ながしの){長篠};の戦いで破る。 

-1582年……信長とともに武田氏をほろぼし,駿河を領国とする。[[本能寺の変]]で信長が殺される。事件当時,わずかな家臣とともに堺を訪問していた家康は,伊賀(三重県)の山道を越えて三河に脱出している。

-1584年……信長の次男の織田信雄(のぶかつ/のぶお)を助け,&ruby(こまき){小牧};・&ruby(ながくて){長久手};の戦いで豊臣秀吉と戦う。信雄が秀吉と単独講和したため,家康も秀吉と講和する。 

-1586年……秀吉の妹を妻にする。大阪城を訪れ,秀吉に臣従する。 

-1590年……秀吉の命令で,領地が東海地方から関東地方に移される。江戸を本拠として,開発に力を入れる。

-1598年……秀吉が病死する。あとつぎの秀頼はまだ5才であり,家康が豊臣政権内の最高実力者となる。 

-1599年……大阪城に入り,豊臣政権の政務を担当する。 

-1600年……上杉氏が豊臣政権に従わないことを理由に会津(福島県)に出征する。この機会に石田&ruby(みつなり){三成};らが家康打倒の兵をあげるが,関ヶ原の戦いでこれを破り,徳川政権を確立する。 

-1603年……[[征夷大将軍]]になって,江戸に幕府を開く。 

-1604年……貿易を許可する朱印状の発行をはじめる([[朱印船貿易]])。

-1605年……三男の&ruby(ひでただ){秀忠};に将軍職を譲ることによって,徳川氏が将軍職を受けづくことを明らかにする。

-1607年……江戸から駿府に移るが,その後も大御所として政治の実権を握り続けた。[[朝鮮通信使]]と会い,朝鮮との国交を回復する。 

-1615年……大阪夏の陣で豊臣氏をほろぼす。[[武家諸法度]],[[禁中並公家諸法度]]を制定する。(武家諸法度は秀忠の名で出されたが,実質的には家康が定めたものと考えられている。)

-1616年……駿府で死去。&ruby(とうしょうだいごんげん){東照大権現};として日光にまつられる。 

【家康の子どもたち】 

-松平信康……長男。織田信長の娘婿となるが,母が今川氏の出身であったことから信長の要求で切腹させられた。 

-&ruby(ゆうき){結城};秀康……次男。豊臣秀吉の養子(実質的には人質)となり,秀吉に子が生まれると,結城氏をついだ。のち福井藩の藩主となり,亡くなる前に松平の名字に戻っている。 

-徳川秀忠……三男。江戸幕府の第2代将軍になる。 

-松平&ruby(ただよし){忠吉};……四男。&ruby(おわり){尾張};藩主になるが,若くして病死する。 

-武田&ruby(のぶよし){信吉};……五男。ほろんだ武田氏を継いだ。&ruby(みと){水戸};藩主になるが,若くして病死する。 

-松平&ruby(ただてる){忠輝};……六男。越後高田藩主となるが,後に領地を没収されて流罪になった。家康との対立が原因だったともいわれる。 

-徳川&ruby(よしなお){義直};……九男。兄忠吉の死後,尾張藩主となる。義直の血筋を尾張徳川家という。 

-徳川&ruby(よりのぶ){頼宣};……十男。兄信吉の死後,水戸藩主になるが,後に駿府藩主さらに紀州藩主に転ずる。頼宣の血筋を紀州徳川家という。なお,秀忠直系の血筋が絶えた後,頼宣の孫が将軍になるが,これが第8代将軍&ruby(よしむね){吉宗};である。 

-徳川&ruby(よりふさ){頼房};……十一男。兄頼宣に代わって水戸藩主となる。頼房の血筋を水戸徳川家という。