徳川慶喜 の変更点
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[[歴史Bランク]] **徳川慶喜(とくがわよしのぶ) [#z1b88cc9] 1837年〜1913年 &color(mediumblue){江戸幕府の第15代将軍で,&ruby(たいせいほうかん){大政奉還};を行った。}; 倒幕運動が高まるなかで,政権を天皇に返した([[大政奉還]])。翌年,新政府が慶喜に官職と領地の返上をせまると,鳥羽・伏見の戦いをおこすが敗北し,江戸に帰還した。新政府軍が江戸にせまるなかで,江戸城を開城し,政治の世界から去った(ただし,明治時代に貴族院議員になっている)。 [[王政復古の大号令]]によって[[征夷大将軍]]が廃されたことから,慶喜は「最後の将軍」ともよばれている。 ---- 【徳川慶喜】 &ruby(みと){水戸};藩主徳川&ruby(なりあき){斉昭};の7男で,&ruby(ひとつばし){一橋};家(第8代将軍[[徳川吉宗]]の血筋)の養子になる。第13代将軍徳川&ruby(いえさだ){家定};が病弱で子も無かったことから,次期将軍の有力な候補とされていた。 -1858年 --5月……大老[[井伊直弼]]が,紀州藩主徳川&ruby(よしとみ){慶福};を次期将軍に決定する。 --6月……井伊直弼が[[日米修好通商条約]]を結ぶ。これに抗議した慶喜は&ruby(きんしん){謹慎};を命じられる。 --10月……徳川慶福が第14代将軍になり,名を&ruby(いえもち){家茂};と改める。 -1860年……井伊直弼が暗殺される([[桜田門外の変]]) -1862年……第14代将軍徳川家茂の後見職として,政界に復帰する。 -1864年……朝廷を警護する役職に任命され,京都で活動する。 -1866年……急死した家茂を継いで第15代将軍となる(この後も京都での活動を続けたため,慶喜は将軍在任中は一度も江戸城に入城していない)。フランスの協力を得て幕府の軍制改革に努力する。 -1867年……倒幕派に対抗するため,政権を朝廷に返す(大政奉還)。倒幕派は王政復古の大号令を発し,慶喜を除いた新政府の樹立を決定する。 -1868年……鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に帰る。新政府に従うことを決意して,江戸城を無血開城する。 -1902年……公爵の位を授けられる。 -1902年……公爵の位を授けられ,貴族院議員となる。