湾岸戦争 の変更点
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[[歴史Bランク]] **湾岸戦争(わんがんせんそう) [#z4943d02] 1991年 &color(mediumblue){クウェートに侵攻したイラクと,アメリカ合衆国を中心とする多国籍軍の間で行われた戦争。}; 「湾岸」とはペルシャ湾岸のことである。 1990年8月にイラクはクウェートに侵攻し,全土を占領した。[[安全保障理事会]](国連)の撤兵要求をイラクが拒否したことから,1991年1月に多国籍軍による攻撃がはじまった。戦争は多国籍軍の圧勝に終わり,クウェートは解放され,同年3月には停戦協定が結ばれた。 -イラクとクウェート --1932年にイギリス委任統治領メソポタミアが独立してイラクが成立したが,このときペルシャ湾に面した湾岸部だけは切り離された。1961年にこの湾岸部が独立してクウェートが成立したが,イラクはしばしばクウェートの領有権を主張していた。 --イラクはイラン・イラク戦争(1980年〜1988年)によって軍事大国になったが,戦後はばく大な軍事&ruby(さいむ){債務};に苦しんでいた。その中で石油生産をめぐってクウェートやサウジアラビアと対立を深めたイラクは,クウェートを&ruby(へいごう){併合};しようとした。 -多国籍軍……アメリカを中心に28か国の軍で構成された。各国がそれぞれの責任で派遣するもので,国連が結成する国連軍とは別のものである。 -日本……多国籍軍に対して130億ドルの支援を行ったほか,戦後,ペルシャ湾の機雷を除去するために海上自衛隊の&ruby(そうかいてい){掃海艇};を派遣した。この派遣は[[PKO協力法]]が制定されるきっかけになった。 【湾岸戦争とテロリズム】 イラクのサウジアラビア侵攻も予想されたことから,アメリカはサウジアラビアに軍を派遣し,湾岸戦争後もイラク監視を理由に軍の&ruby(ちゅうりゅう){駐留};を続けた。聖地メッカのあるサウジアラビアに軍を駐留させたことはイスラム原理主義者の反発をまねき,対米テロ(2001年の同時多発テロ事件など)が多発する原因となった。 イラクのサウジアラビア侵攻も予想されたことから,アメリカはサウジアラビアに軍を派遣し,湾岸戦争後もイラク監視を理由に軍の&ruby(ちゅうりゅう){駐留};を続けた。聖地メッカのあるサウジアラビアに軍を駐留させたことはイスラム原理主義者の反発をまねき,対米テロ(2001年の[[同時多発テロ]]など)が多発する原因となった。